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学校給食セミナー



宮野鼻  ありがとうございました。予定しておりませんでしたことをお聞きしましてすいません。お二方それぞれのお立場でとてもいいお話を聞かせていただいたと思います。さて皆様ご案内のように千葉さんのところの水沢市の「真城共同調理場」がオール電化学校給食施設の第1号ということでございました。1998年に開設されましたけど、それ以来、先般各電力会社の学校給食のご担当の方が集まった会で、ざっと集計致しますともう80箇所を超えるオール電化学校給食施設が誕生しているということでございます。来年には間違いなく100を超えて、だいたい120くらいになるのではないかというお話も伺っております。このように、O157事件がありまして、それから水沢に初めてのオール電化施設が誕生致しまして、約5年の間にたいへんな数に増えて参りました。なぜそういう結果が導かれたのか、そのあたりのポイントをぜひ皆様と一緒に考えてみたいと思うわけですが、やはり真城からお話を始めませんと、「オール電化学校給食施設」の一番の核心に迫れないということではないかと思いますので、最初に千葉さんのほうから「真城共同調理場」のだいたいの概要と、そもそもなぜ「オール電化施設」が誕生したのか、地域全体の動きと申しますか、「言い出しっぺは誰か」とか、そのあたりをざっとご紹介いただけたらありがたいのですが。
千葉  真城も稼動しまして6年目を迎えて、調理師が毎年1人ずつ5年サイクルで移動しますので、当初の調理師も1人しか残っておりません。そのなかで、全ての調理機器が大きなトラブルもなく動いております。真城共同調理場は昭和39年の施設を毎年長期休業中に手直しをしながら、保健所の指摘事項の一番多い市内の施設でした。その中で皆働いておりました。そのなかで先程阿部先生からお話のありました、県内でO157が発生いたしまして、その時点から水沢市も、老朽化している真城をどうしたらいいかということが議会のほうでもずっと問題になっていました。私のほうでも、厨房、環境面を見ても、室温が25℃以下なんてとても無理で、湿度は普通で80〜90%のところで、カッパをつけて長靴をはいて働いてた調理師さんたちが、マニュアルの内容とは全然違う冷却器もない厨房で、前の日に氷を作って、冷凍庫で準備しておいて、当日食材を和えましても、実際の室温に戻ってしまう。たとえばその日の室温、湿度、それから和えた時の温度、教室に行って子供達が盛り付けするときの温度をずっと記録していまして、実際このような感じで子供達が食べてますよということを一夏かけて教育委員会の方へお出ししました。9月になりまして、「子供達に安全な食事を」ということが市長さんの方からお話が出て、とんとん拍子に進み、計画の中現場の栄養士として私も入れてもらいましたし、厨房機器会社、東北電力の担当者、それから設計士、設備屋さんなど全ての関係者が入っての運びとなりました。やはりそこでみなさん一番心配だったのは、「初めての厨房」だということでした。誰も手がけたことがないということと、私自身も機器を見たことがなかったので、その中でどのように運用していったらいいのだろうかということが一番の悩みの種でした。幸いにも市の担当者が、普通は施設担当は事務の方が来られるのですけど、その方はすごく勉強されまして、「衛生管理基準」とか、「大量調理マニュアル」をすべて把握した上で、音頭取りをしてくださいました。その中でやはり作業動線が交差しない施設にしたいということと、施設環境、温度湿度をクリアできる施設にしたい、それから器具の使い回しをしない厨房にしたいということで、これらの3本柱を重点に置いて、保健所の指導者を交えて話し合いをしました。その中でやはり保健所の意見がかなり大きく働いた経緯があります。それぞれ汚染区域、非汚染区域で区分けがあるのですが、例えば炊飯のときに、米をどのように動かしたらいいかということで、今になると少し懐かしい話になるのですが、「米を購入して、精米をどこですればいいか」、「炊飯をどこですればいいか」、それから「盛り付けはどこですればいいか」ということで悩んだ経緯があります。実際には保健所の最終的な指導で、「野菜と同じように考えなさい」ということで解決しました。下処理室で洗って、ハッチを通して調理室で炊飯して、盛り付けをするということで解決したのですが、そのような些細なことでずい分悩んだことなども思い出されます。それから敷地がかなり狭かったです。お金が無いものですから、学級園として、学級ごとにそれぞれヘチマとか、アサガオを植えていた畑を利用して厨房をつくるという話でしたから、狭い敷地をどのように活用して、今のマニュアルに沿ったものにできるかということで、それが悩みの種でしたし、私もその辺りがぜんぜんわかりませんでした。一応敷地が狭くてもレイアウトができたのですが、機器の配列が全然できませんでした。その当時は厨房の機器というのは固定式が当たり前だったのです。作業台にしろ何にしろ固定だったのですが、その作業台を移動式にしたらどうかということで、狭い厨房がなんとかそれぞれ区域ごとに分けて活用できたというのは、先程の阿部先生のマニュアルのお話ではありませんが、今になれば良かったと思います。そのような中で調理師さん方はすごく不安がっておられました。どんどん話が進んでいくのですが、その当時はパンフレットでしか機器を見られませんでした。一体どのような機器でどのように調理すればいいのということを新しい施設ができるのを横目で見ながら悩んでいたのを思い出しますが、やはり加熱調理機器が全く違うことと、ウエットからドライに入るということで調理師さん方はたいへん苦労したと思います。実際トレーニングは受けたのですが、実際厨房に入るとザルを持って、そのザルをどのように移動すれば良いかわからなくて、最初の日ウロウロしている調理師さんがいたり、使ったまな板と包丁をどこで洗えばいいのか判らなくてウロウロしていたりとか、そういうことで、私もよくわからないままわかったようなフリをして1ヶ月間厨房の中に入って指示していたことが思い出されます。その中で、毎年父母を対象とした試食会や地域の方々を対象とした試食会があるのですが、その中のアンケートの声として、「こんなに整った衛生的な施設で子供達が食べることができて子供達は幸せです」とか「ホウレンソウがこんなに甘いとは思いませんでした」、「キュウリが茹でてあるのにパリッとしてきれいでした」などのご意見をいただきました。また、子供達が見学に来て、2階から厨房を見た瞬間、必ず「わぁ、きれい」と言うのです。確かに色がピンクなのできれいなことはきれいなのですけど、6年経った今でもきれいです。本当に安い壁に塗料を塗っただけのような壁なのですけど、きれいな施設のまま保たれておりますし、子供達がじっと見ていると、「今すぐ食べたい」と言います。実際「調理師さん達が作っているのを後で給食時間に持っていくからね」と言っても子供達は「今すぐここで食べたい」とか、後は調理師さん達が常に手洗いをしているのを見て、「こんなに手を洗うんだね」と言う声などが、作文で給食施設の方に返ってきます。市の担当者からもそういう衛生面で子供達に何かを感じさせることのできる施設になってよかったねと言われるのですが、市内6施設ある内で毎年移動時期になると、「絶対真城には行きたくない」という影の声が聞こえます。というのは面倒くさそうだから行きたくないということなのです。他の施設は皆ウエットのドライ運用でやっているのですが、まるっきりドライというのは真城だけなものですから、見ると調理師さん達は面倒くさそうたからいやだと言うのですが、実際来た方は5月の連休、6月の湿度の高い時期を過ぎますと、「ここ以外どこにも行きたくない」という風にみなさんがおっしゃってくれて、現在も楽しくやっているような状況です。
宮野鼻  ありがとうございました。一点私が伺いたいのは、真城を私が最初に拝見したときに、まず衝撃的だったのは、フードがほとんどないことでした。それまではやはり学校給食の調理場というと大きなフードがバーンとかかっていて、作業中ずっと換気がかかっているような感じでした。その辺りで作業環境等に不安を持たれるようなことはありませんでしたか。
千葉  私もびっくりしました。フライヤーの上にフードが無かったのです。それから先輩の栄養士さんから「フードの無い施設なんか考えられないし、無理だ」と言われました。それで設計なさった方の思いをお聞きしましたら、「絶対大丈夫です。その分天井が高く傾斜しているのです。そういう点で大丈夫です。」と言われました。それでは専門家のおっしゃる通りということで了解しました。事実フライヤーの上にはフィルターが2箇所ついているのですが、半年に一回交換すれば、それで終わりの状態です。
宮野鼻  では結果的には心配なかったということですね。後もう一点、先程炊飯の話がちらっと出ていましたけど、加熱調理機器で正直こういった種類の調理、こういった機器で苦労したというお話があればお聞かせいただけますか。
千葉  いままでは野菜は和え物にする野菜、サラダにする野菜、というのは全部加熱調理でしたので、回転釜で一気に茹でたものを冷やして使うというのが普通でした。ところがスチームコンベクションオーブンの場合それぞれホテルパンに野菜を入れまして、スチコンにかけて茹でるという作業を調理師さん方は最初拒否なさいました。ホテルパンは多い時には60枚70枚使って加熱するのですが、2次汚染防止の為、一回ここに入れてしまえば、和えるまで絶対に手は触れることがないから次の作業では楽だよということで、スチコンを使う理由を分かってもらいました。あとは全て機器類は素直に、例えばフライヤーもそれまではガスだったのですがガスと変わりなく使えましたし、スムーズにいったという感じです。
宮野鼻  ありがとうございました。今でこそこのように淡々とお話して下さいますが、おそらく準備の間、開設当初のしばらくの間は千葉さんはたいへんなご苦労をなさったのではないかと思います。私どももいろいろなオール電化の給食施設を拝見しますけれども、運用される人の意識ですとか、実際仕事をされるスキルとか、そのようなことを含めて、一番最初の施設ですけども、トータルで見ますと、未だに真城調理場というのはトップレベルであると思います。これから建設の計画をされている方にとっても勉強になる、参考になる施設であると思います。その辺りを含めまして阿部先生、真城調理場ができるまではオール電化の施設なんて全くなかったわけです。98年に水沢にオール電化の給食施設ができた、それで千葉さん達の努力で「結構上手くいってるじゃない」ということで、学校給食施設の世界に与えた影響と申しますか、流れの中での位置づけについてお話いただけたらと思います。
阿部  私は真城に1998年から2000年くらいの間に行ったのですが、なにしろびっくりしたのは、室内の温度です。千葉さんによく「先生神経質ね」と言われました。「どうして?」と聞いたら「始終温度と湿度を見ている」と言うのです。実際にこんな気持ちのいい調理場はないという感じでした。入った時が10時くらいで、揚げ物をやっていたのですけど、揚げ物器の周りに油気がない。調理員さんに聞いてみると、「自分もそうだ」と言う。「今までウエットでやっていたころのフライヤーだと肌などにベタベタつくようなことがあったが、電気っておもしろいですね」と言っておられたことが強く印象に残っています。その後いろいろな電化厨房施設でフライヤーを見ているけれど、どこも同じようなことを言います。油を用いる調理では相当違うのではないかという気がしました。また、真城ではブラストチラーとスチコンの使い方にはもう私が行ったころにはすっかり慣れていた様子でした。それと回転釜を使う時に排水します。その時に、どこでもよくみられることなんですが、一気に排水するのです。それを少しずつ排水していって、だんだんに勢いを増していくなどの細かいところなどすごいと思いました。なにしろこれは「指導だ指導だ」と言っても千葉さんのところでは「違う違う」と言うのです。「皆で考えたのだ」というのです。それと、その後いろいろな調理場を見ていて、屋根の構造に何か意味があるのではないかと思いました。今日のこの会場のように、直方体では換気の計算が難しいということをよく言われる。真城のあの屋根の形状が一番いいのかなと思っていて、その後あちこちのオール電化の調理場に行くと、つい比べてしまいます。その後4000食とか2500食とか大きな調理場を見ましたけど、何しろ真城は人がいいことと、施設そのものが非常によくできているということ、それが学校給食に非常に大きな影響を与えたのではないかと思います。ついでなのですが、真城小学校の子供は良くて、僕がなかなか帰って来れなかったことをよく覚えている。真城共同調理場というのはなかなか忘れられない所になりました。
宮野鼻  ありがとうございました。私はだいたい広島を拠点に仕事を長くさせていただいていたのですけど、実は全国で2番目にオール電化の学校給食調理場が中国地方の岡山県鴨方町にできました。電力会社でいうと東北電力、中国電力、この2つの管内がオール電化のパイオニア的存在で、たくさんの施設ができたのですけど、中国電力管内のオール電化施設を作った市町村の関係者は皆、水沢に行っています。それで、水沢へ行って、見て、議員さん達も行かれてみて「あれならいいんじゃないの」ということでまとまったと言う話をよく伺いました。そういう意味では本当に千葉さんのご苦労というのが今日の80箇所を超えるオール電化施設の誕生に大きく影響を与えていらっしゃるのではないかと思います。
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